自治会発足 平成18年7月 構成メンバー 全9班・108世帯 
  エリア 那覇市首里石嶺町一丁目・三丁目の一部 
  会長 宮城孝夫 
  (お問合せ 広報担当・樋口 070-5818-3038)
  mail  moon-river@nirai.ne.jp

坂道と、緑陰と、尚清王の子息の別邸があった御殿山の歴史的情緒ただよう土地柄。
重文指定の最古の亀甲墓や、御殿山という名の沖縄そば屋のある自治会です。


     
   

このページでは、御殿山(うどぅんやま)界隈にちなむ、
たとえば伊江御殿や国指定名勝に指定された伊江御殿別邸庭園などの
ニュース報道や出来事、この地域に永年住む方々の地元コラムを
随時ご紹介していきます。
日ごろ、何気なく暮らしているこの土地が、そうした報道やコラムで、
新しい発見や地元への愛着につながれば…、と願っています。





▼10.6.23(日)午前11時~
伊江御殿内慰霊祭
伊江御殿別邸庭園内戦車第27連隊慰霊碑前


伊江御殿周辺は、沖縄戦当時、日本軍第27戦車隊の陣地になっていて、
米軍との闘いの中で、700名余の死者が出ました。
戦後、伊江家第15代当主の故伊江朝雄氏(元沖縄開発庁長官)と従兄の伊江朝忠氏の
連名でその御霊を祀るために慰霊碑を建立しました。
毎年、6月23日の慰霊の日には、この場所に、戦車隊の数少ない生存者の方と、
地元の人たちが集って、慰霊祭を行っています。
当自治会でも、数年前から参列しています。



参列者は、生き伸びた西平守知氏、濱元全吉氏(下のコラム「茶のみ話」筆者)を始め、
この土地に古くから住む本字門中、石嶺北翔会のメンバー、那覇市議、
加えて当石嶺坂道通り自治会関係者とその家族…総勢20名余りでした。


この慰霊祭の歴史背景を知るには、下の新聞切抜きをご覧ください。
切抜き画像をクリックすると、拡大します。

                 ↓




  
伊江家当主・伊江洋子さんの献花も。    慰霊碑裏に、建立者の伊江朝雄、朝忠の両氏の刻銘。


正午の黙祷に合わせて、次第に参列者が集ってきます。


沖縄の子どもは、もの心つく頃から慰霊します。


東シナ海の港に停泊する船のサイレンなどを合図に正午、一分間の黙祷が始まります。
沖縄全県、全市町村の時間がフリーズする、全き鎮魂と、恒久平和を祈るときです。


84歳と思えないよく通る声で、西平守知氏あいさつ。



濱元全吉氏あいさつ。





三線弾き語り奉納のあいさつをする又吉清氏(左)と、石嶺北翔会の永山潔会長。


反戦平和の想いをこめた「仲風」が、地元の又吉清氏の三線弾き語りにより、
おごそかに、たおやかに霊前に奉納された。

奉納演奏のビデオはこちらです。真ん中の再生ボタンをクリックしてください。(出だしのみ、約60秒。実際の演奏は5分程です)
          




北翔会のメンバーで、那覇市教育委員の金城眞徳氏。


石嶺坂道通り自治会・宮城孝夫会長。


戦後世代を代表して、久高将光那覇市議会議員。



本字を代表して玉城氏のあいさつ。


碑のすぐ脇の、古池に水をたたえ風情を増す、当日の国名勝指定・伊江御殿別邸庭園。






伊江御殿内の伊江家の土地が那覇市へ寄贈されました。
(沖縄タイムス 2009.1.20付)


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伊江家別邸庭園、国指定の名勝に指定されました!伊江御殿(伊江記念館内の石庭)

(琉球新報2008年11月22日付)

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国指定名勝に、伊江別邸庭園
(沖縄タイムス2008.11.22付)


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関連報道






そのスバ重文指定につき。
(コラム/樋口謙一 「月刊 沖縄浮力」1999.11.1発行)



御殿山の麓にある伊江家歴代の亀甲墓が最も古い琉球様式を留めているという事で、
重要文化財の指定を受けることになった1999年秋に、この地域に新居を移すことになったため、
筆者が当時編集人をしていた新聞スタイルの雑誌に下のような「そのスバ、重文指定につき。」
なる表紙コラムを寄稿しましたので、再録することにしました(写真も筆者)。
そのスバとは、もちろん城北中正門前の「御殿山」というお店のものです。

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石嶺坂道通り自治会発足当時の会報
宮城孝夫会長が自治会設立の趣旨と挨拶を寄稿しています。

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