
伊江記念館通用門。この脇に東支那海を見晴るかす物見台が設けられていた。 |

伊江朝雄氏の妻の洋子さん。高齢だが、実に若々しい。
伊江記念館周辺の、自治会恒例の地域清掃の日、 伊江御殿の中を、みずから案内してくださった。 |

旧正門。歴史の面影が漂う。以前は、赤瓦の屋根と
庇が付いていたが、台風で消失した。 |

左の正門の内側はこうなっている。
広めの通路が設けられている。 |

国指定名勝となった琉球式別邸庭園。上流階級の庭園様式を留めるものして今回、国指定名勝となった。 |

大和様式と琉球様式が合体したようなエキゾチックな庭園。ソテツなどの亜熱帯植物が生命力を醸し出している。少雨で、水が涸れていたのが残念。 |

“楽市亭”と名のついた茶室。折にふれて、茶会がここで催された。 |

伊江家十一代当主・伊江王子尚健(1818〜1896)の揮毫による石碑。落款に「中山正使」とあるのは、明治6年、維新慶賀使として東京に派遣された時に書したものとされている。「風は清雲は静かにして、山のごとく高く、水のごとく流し」高潔な人物を称えるかの詩句である。
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赤瓦屋根の瀟洒な母屋の佇まい。この地と、伊江朝雄氏の東京本宅の両方で伊江家代々の古文書などが保管、管理されてきた。その労苦は並大抵ではなかった。戦時中の東京空襲で、朝雄氏はそれらを両手に抱えて、火の中を安全な場所へ移管したと、妻の洋子さんは語る。
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伊江御殿の南側に隣接してある伊江御殿墓の入り口。重要文化財の指定を受けている。
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琉球でもっとも古い様式を持つ亀甲墓として、史跡的扱いを受けている。伊江家300年余の先祖代々の方々を祀る。 |

伊江御殿墓が重要文化財に指定されてか、その背景が記してある。1999年12月1日指定。
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伊江洋子さんの案内で、伊江御殿を見学した後、那覇市の歴史博物館で「伊江御殿伝世品展」が開催されるので行くと、そこでも洋子さんに遭遇。伊江家文書の歴史的価値を知るセミナーも同時開催されるので、史料提供側として招かれていたのだ。左は、宮城孝夫自治会長。
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県立博物館の萩尾俊章氏のガイドで、伊江家の伝世品を見て回る。有料なのに、100人位の人が訪れた。
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大河ドラマ「篤姫」の婚礼の江戸入りに対する祝儀を江戸立正使の伊江王子が兼務を願い出る文書。 |

伊江家の大切に保管されてきた文書の数々は、そのまま琉球王国の歴史そのものだ。
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2007年に逝去された伊江朝雄氏(十五代当主)の沖縄初の大臣時代の面影と、伊江御殿の佇まい。
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明治維新慶賀使の一行。前列中央が正使・伊江王子朝直、その左が副使の宜野湾親方朝保。明治5年(1872年)
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伊江御殿を中心にした御殿山全景空撮。 |

伊江御殿見学の後、玄関前で、伊江洋子さん(後列右から5人目)と、石嶺坂道通り自治会の参加メンバーで記念撮影。
09年1月18日。
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